シュリーラ-プラブパーダが意図している意味を明確にするのに助けになる質問をする。
シュリーラ-プラブパーダの教えを完全に吸収するためには、質問が必要です。 言い換えれば、質問をするということは吸収するプロセスに欠かせない部分です。
「この節では、盲目的に従うことと、くだらない質問をすることを禁じています。ただ精神指導者から従順に聞くばかりでなく、従順な姿勢で仕え、質問しながら、明確な理解を深めなければなりません。」 (B.G. 4.34解説)
正統な弟子の特徴の鍵は、課題を理解するために質問をしたがることです。 質問をしたがるということは、質問があるということです。
「どうやって精神指導者に質問すればいいのかを知らない人は、精神指導者に会う必要はありません。」 (S.B.1.19.31解説) 31解説)
「ですからこれが精神指導者に近ずくプロセスです。あなたは質問をすることが大好きでなければなりません。そして質問をしなければなりません。しかし精神指導者に挑戦するためにではありません。」 (TQE3a:誰がグルか、そして何故私たちはグルが必要なのか。)
「グルは玩具ではありません。 ‘私はグルを持たなければならない。グルの命令に従う気は全くないけれど、グルを持つのは流行だから、グルを持っておこう’このようなグルでは役に立ちません。そしてこのような弟子も役に立ちません。人はグルを探し求めなければなりません。―――何時でしょう。超越的意識を理解するために質問をしたくなった時です。ジジャナス シュレヤ ウッタマㇺ。それは流行ではありません。とても真剣でなければならないことです。超越的知識について理解することを熱望している人、シュレヤ ウッタマㇺ...ジジャナス シュレヤ。シュレヤとプレヤ。」 (S.B.6.1.34-39講義、1970年12月19日、スラㇳにて)
しかしながら、正しい質問の仕方と正しくない質問の仕方があります。 ある種の質問は、超越的知識の蜂蜜の瓶の蓋を開けるのを助てくれます。 他の種の質問はただ私達の時間を無駄にして、シュリーラ-プラブパーダが伝えようとしている重要な教訓から私達の注意を背けてしまいます。
「理解しようと努めるために、質問をしなさい。私達は強制的に押し付けているわけではありません。クリシュナはあなたに知性を与えてくれました。避けようとするのではなく、知性を使って理解するように努めて下さい。それを避けるために質問するのではなく、理解するために質問しなさい。二種類の質問があります。その質問はあなたを助けることが出来ません。あなたが避けようとすれば、クリシュナはあなたが避けられるように助けてくれます。そしてもしもあなたがクリシュナを捕えたいのなら、クリシュナはあなたがクリシュナを捕えるのを助てくれます。」 (講義、1968年10月4日、セアトゥルにて)
「質問とは、私が話している講義に関してです。分かりずらいことがあれば、そのことについて質問するべきです。そうでなければ、あなたがそれ以外のことを聞けば、この目的のために作られたこの雰囲気は失われてしまいます。ですから質問とは、私が既に語った課題について聞くということです。私が語った課題について、何か疑問とか分かりにくいことがあれば、それが質問するべき事柄です。」 (B.G.3.6-10講義、1968年12月23日、ロサンゼルスにて)
次に挙げるものは、シュリーラ-プラブパーダが承認しなかった質問についての事例調査です。 どちらの事例においてもシュリーラ-プラブパーダはどうしてその質問がされたかという理由を聞きたがっていたことに注意して下さい。 これから分かることは、私達が質問をする時は、、その目的はその課題を吸収することであるべきだと示しています。
一つ目の事例
日本人の男性: 「あなたが半神やインドラやブラフマーに会ったことがあるかどうか、いつも聞いてみたかったのですが...。」
パラマハムサ: 「彼は、あなたが半神やインドラやブラフマーに会ったことがあるかどうか知りたいそうです。」
プラブパーダ: 「ではあなたにとって何の利益があるのですか。 もしも私が会ったことがあるとします。では、あなたはそれから何の利益を得るのですか。 私が ‘はい、私は会ったことがありますよ’ と言えば、あなたは何の利益を得るのですか。 何故あなたはこの質問をしているのですか。 あなたはそれを知りません。 では何故あなたは尋ねているのですか。」
日本人の男性: 「多分、感覚の満足のため。 (笑い)」)
プラブパーダ: 「多分、何ですか...。」
トリヴィクラマ: 「多分、感覚の満足。」
プラブパーダ: 「そうです。それは感覚の満足です。」
日本人の男性: 「しかし実は、他の献身者達が時々私に、あなたはインドラに会ったことがあると言うので...。」
プラブパーダ: プラブパーダ:「そうですね。私はインドラに会ったことがあるかもしれないし、ないかもしれません。 では、もしも私がインドラに会ったことがあるとしたら、あなたは何の利益を得るのですか。 そしてもしも私がインドラに会ったことが無いのなら、あなたは何を失くしますか。 それが私の質問です。 では、 何故あなたはこの質問をしたのですか。 あなたには何の利益も損失もありません。 他に何か質問がありますか。 何か知性的な質問をして下さい。 そうすれば私達は、あなたが本当に学んでいると理解できます。」」 (B.G.16.8講義、1975年1月28日、東京にて)
二つ目の事例
客人: 「はい。 『バガヴァド-ギーター』は私達に一片の黄金を扱うようにと教ええいます...。
プラブパーダ: 「ふーむ。」
客人: 「黄金の一片と、石ころ一つを同じように扱うようにと教えています。 実際それは考慮の余地があることでしょうか。」
プラブパーダ: 「それはどこに書いてありますか。」
献身者:「一片の黄金も石ころ一つも同様に扱うようにと...。
プラブパーダ: 「どこに書いてあるのですか。」
客人: 「『バガヴァド-ギーター』の中です。」
プラブパーダ: どこですか。 シュローカを唱えなさい。」
客人: 「えーっと。唱えられないです。」
プラブパーダ: それのみです。 これは質問ではありません。 明確な考えがないのなら、質問はどこにあるのですか。 どこの書いてあるのですか。 あなたは...実際にそれが出来ますか。一片の黄金と石ころ一つは同じですか。 ある節があります。サマ-ロストラスマ-カンチャナㇵ。 それはとても向上した段階です。全てのものは物質でできていることを知っている時、何の価値があるでしょう。 全てのものは物質でできているのなら、何故石はもっと価値があると考えられないのですか。 同じことです。パンディタ サマ-ダルシナ。(B.G.5.18) しかしそれは人が完成の段階を達成した時のことです。普通の人の場合ではありません。では『ギーター』がサマ-ロストラスマ-カンチャナㇵと言っている目的は何ですか。 何故その質問をしたのですか。 目的は何ですか。」 私達凡人にはこの質問は出来ません。でも何故あなたはこの質問をしたのですか。 何が目的ですか。」 (B.G.16.5講義,1972年2月23日、カルカッタにて)
上記のことから私が抜粋した手掛かりとなる教訓が、ここにいくつかあります。
- シュリーラ-プラブパーダが語っている話題に関する疑問や困惑を直接解く質問を、私達はするべきです。 シュリーラ-プラブパーダが説明している話題から語り合いを逸らすような質問をするべきではありません:
「私達が今まで語り合ってきたことに関して、何か疑問とか、理解しにくいことがあれば、それが質問となるべき課題です。」 (B.G.3.6-10講義、1968年12月23日、ロサンゼルスにて)
- 質問する時は、自分が聞いている質問に関わる節や教えを特定するべきです。 そのテキストを引用出来るようにする必要があります。 何か聞いたと思うとか、読んだことがあるのを覚えているというあやふやな引用をすることは、ポイントを正確に質問の中に表現していないかもしれないので、ますます語り合いを混乱させてしまうだけです。 語り合っている経典のどの箇所に書いてあるのかという特定の引用をする必要があります。 より明確にできれば、より良いです。
- 質問する理由が誠実であることを確かにする必要があります。 上記の事例で分かるように、シュリーラ-プラブパーダは、しばしば挑戦しました。 ‘あなたは何故この質問をしているのですか’ と。 誰かを見せびらかしているのですか。それとも自分が目立とうとしているのですか。何が動機なのでしょう。 私達の動機は、シュリーラ-プラブパーダが話している特定な話題に関する疑問や困惑を解くことであるべきです。
私達の友人と自宅で行っている語り合いでは、たった5つの分野の質問しか許していません。 これについては「役立つ秘訣」の箇所の投函で語り合います。 今のところはとりあえず、質問は特定な目的を持つべきだという原則についてシェアしたいと思います。:それは、シュリーラ-プラブパーダが伝えようとしている意味を明確にすること、そして私達が持っているかもしれない疑問、困惑、誤解を解くという目的です。