解放された純粋なクリシュナの献身者から聞く。

もしも私達が幸せになりたければ、主の栄光について、解放された主の純粋な献身者から聞くことが最初でかつ、最も重要な原則です。 これを理解することはとても重要です。 これが出来なければ、不幸な感じを経験する結果になります。 私達に落ち込んだり、不安になったり、希望を失くしたりする傾向があるなら、サドゥ-サンガの質を改善しする必要があります。そして、毎日ウッタマ-バクタから聞くことによって彼に仕えるようにしましょう。

「この物質世界に住んでいて生と死を繰り返すことを余儀なくされている人達にとって、最高の恩恵とは、純粋な献身者の交際を得ることです。そのような純粋な献身者を探し出し、彼らと一緒にいるべきです。それは人を物質世界に住んでいながらにして、完璧に幸せにします。」( (SB 4.30.34 解説)

純粋な献身者には2種類あります。:

色々なタイプの純粋な献身者を表すのに「熟していないマンゴー」と「熟したマンゴー」の例を聞いた事があるかもしれません。 熟していないマンゴーに例えられる純粋な献身者は、クリシュナを愛するという純粋な意図を持っているけれど、まだ主を純粋に愛する段階には達していません。 その様な純粋な献身者は、まだ物質の三様式の影響に汚されています。 「熟したマンゴー」に例えられる純粋な献身者は、クリシュナに対する眠っていた愛が既に目覚めていて、物質的な穢れがありません。

私達が幸せになるためには「熟したマンゴー」クリシュナへの愛が既に目覚めていて、物質的な穢れのない純粋な献身者との交際が必要です。

「要点をまとめると、まずヴェーダーンタ哲学に精通しているばかりではなく、自己を悟った魂、主シュリー・クリシュナ、人格神に仕える混じりけのない純粋な献身者との交際を求める必要があります。」 (S.B. 1.5.34)ここまでで私達が幸せになるためには、自己を悟った純粋な献身者の交際を探し求める必要があることが分かりました。 その様な献身者は専門的にはウッタマ-バクタ、最高級の献身者として知られています。 その様な純粋な献身者との交際を得たら、その人から聞くことによって仕えなければなりません。

「この物質界とは何も関りを持たず、ただ献身奉仕だけに従事している純粋な献身者に保護を求めるべきです。その様な人に仕えることによってのみ、物質的な状態を超越することができるのです。「この節では、ヨゲシュヴァラ-ウパサナヤ、最高級のヨギー、つまり献身者の蓮華の御足に仕えることが勧められています。最高級の献身者に仕えるというのは、その人から最高人格主神の栄光について聞くということです。」 (S.B.4.22.22.解説)

質問 / 私の見解

質問1:どのようにしてその様なウッタマ-バクアを見つけることが出来るのでしょうか。 そして、もしもその様な人が見つかったとしても、私には世間的にも色々しなければいけないことがあるので、どうすればその人からいつも聞くことなどが出来るのでしょうか。

私の見解1: シュリーラ-プラブパーダは普遍的にウッタマ-バクタとして認められています。 プラブパーダ御自身の兄弟弟子たちは、プラブパーダのことをシャクシャヴェーサ-アヴァターラ、クリシュナから勢力を与えられた師であると称賛していました。 プラブパーダとの交際はいつでもヴァニ、講義や本の解説を通して得られます。 プラブパーダは特に、本の解説を通して私たちがプラブパーダと交際を続けていくことを望んでいました。 何が証拠でしょう?
「だから私たちの方法は、物事を理解するのに完璧なグルを受け入れることです。そして又、正しい権威のある人が書いたありのままの本を読めば、理解するチャンスはあります。」 -1976年4月22日、メルボルンにて

『シュリーマド-バーガヴァタム』1.2.18の解説でシュリーラ-プラブパーダは、本という形でバーガヴァタと交際することで、バーガヴァタと個人的に交際することと同じ恩恵があると再び保証しています。

「バーガヴァタには2種類、すなわち書物としてのバーガヴァタと献身者としてのバーガヴァタがあります。どちらも優れた治療法であり、両方でも、どれかひとつでも障害を排除する力を備えています。」(1.2.18解説)

記者会見でシュリーラ-プラブパーダは、本のバーガヴァタとしてプラブパーダは私達に役に立ち続ける、そして私達にプラブパーダとの交際を受け取って欲しいと思っているとのことを明確にしています。:

「レポーター(2):あなたが亡くなられたら、合衆国での運動はどうなってしまうのでしょうか。プラブパーダ:私は決して死にません。私は私の本の中に永遠に生きるのです。そしてあなた方はそれを上手く活用して下さい。」(記者会見、 1975年7月16日、サンフランシスコにて)

シュリーラ-プラブパーダはこの同じポイントを数か所で言っています。 これは『シュリマド-バーガヴァタム』1.1.1.についての講義からの引用です。
「ではヨーロッパやアメリカの生徒の皆さん、このヴェーダ式の文化を存分に役立てて下さい。 そのために私はこの肉体を去る前にあなた方に本を残してあげようと、こんなに頑張っているのです。私の死後、あなた方が楽しんでもらえるように。 だからそれを役立てて下さい。 役立てて下さい。 其々のシュローカを全てよく読んで、意味を理解するように努め、あなた方の間で語り合って下さい。 二チャン-バーガヴァタ-セ—ヴァヤ(S.B.1.2.18)。 それが私たちの使命です。 二チャン-バーガヴァタ-セ—ヴァヤ。 [SB 1.2.18] アバドラ、私たちのハートの中にはたくさんの汚いものがあります。 そしてこれらの汚いものはただクリシュナ意識によってきれいにされます。」(S.B.1.1.1.講義、1972年7月6日ニューヨークにて)

『バガヴァドギーター』17章1~3節の講義の後の質問と回答の折、シュリーラ-プラブパーダはこう言いました。
「あなたのグルは本を書いています。 もしもこれらの本を読む必要などないと思うなら、それはグロラ―ヴァジャナです。 私が夜中にこれらの本を書いているのは、売ってお金を得るためだと言うのですか。 何故そんな風に思ってしまうのですか。」(B.G.17.1-3講義、1974年7月4日、ホノルルにて)

よく似た話題について、シュリーラ-プラブパーダは1975年8月7日に、トロントにて、朝の散歩の時こう言いました。
「ですから私がいなくても、この本を読んで下さい。私が話すことを、本に書きつずってきました。だからあなたは私の本を読むことで私と交際できるのです。」(朝の散歩、1975年8月7日に、トロントにて)

「私を最も喜ばせる」という言葉を探索してみました。するとその言葉はシュリーラ-プラブパーダの本を読むということに関してだけ出てきました。 バフルーパ-ダースに宛てた手紙の中でシュリーラ-プラブパーダはメッセージをこうくくっています。
「私の本を読んで、そこに書いてある指示に従い、今世で完全にクリシュナ意識になることで、あなたは私を最も喜ばせることが出来ます。」(バフルーパ-ダースに宛てた手紙、1974年11月22日)

結論: あなたがまだ、毎日シュリーラ-プラブパーダの解説を学んだり講義を聞いていないならば、是非始めて下さい。 これはもし私たちが今世で幸せになりたければ絶対しなければならない決定的な調整です。

質問2:私にはデクシャ-グルがいるので、自分のデクシャ-グルの本を読んだり講義を聞いたりしています。 これではウッタマ-バクタから聞くという原則を守っていることになりませんか。

私の見解2:あなたのグルはウッタマかもしれないし、マダャマ(熟していない青いマンゴー)かもしれません。 私達自身がバクティの道の達初心者である限り、相者の区別をつけることは難しいです。 確かにマデャマは入門を授けることは出来ますが、私達をウッタマ-バクタに繋げる必要があります。 シュリーラ-プラブパーダは、私達のイスコン創設者アチャーリヤであり、全てのヴァイシュナヴァが師をウッタマ-バクタと認めています。

ですから一般的な方針は、他のグルたちは皆自分の弟子がシュリーラ-プラブパーダと交際するように奨励し、助けることが良い方法です。

質問3:マデャマ-バクタが入門を授けられるという経典からの証拠はありますか。その様な人は自分の弟子達がウッタマ-バクタから聞くように奨励するべきですか。

私の見解3:ここにマデャマ-バクタが正式に入門を授けられるという証拠があります。『他の惑星への容易な旅』の34ページ目に、シュリーラ-プラブパーダは、正当なる弟子によって達せられる13番目の一里塚(マイル標石)についてこう書いています。

「彼は無数の弟子を受け入れるべきではありません。これは、生徒でもクラスにいる限られた人数の弟子のモニターになれるように、最初の12項目に従うことに成功した人は精神指導者になれる、という意味です。」(『他の惑星への容易な旅』13ページ)

しかし、その様な精神指導者は、その人の交際によってバクティの道にいる全ての志望者にとって必要な活気が与えられるウタマ精神指導者とは対照的です。 このウッタマ精神指導者については『他の惑星への容易な旅』の32~33ページに書いてあります。:
「精神的科学の方法について完全に知っている正当な精神指導者、『バガヴァド-ギーター』、『ヴェーダンタ』、『シュリーマド-バーガヴァタム』、『ウパニシャッド』等の経典について学識のある人、至高主との確固たる繋がりを持っている自己を悟った人は、自発的な志願者がヴァイクンタへの道に導かれるようになる透明な媒体です。精神指導者は全ての面で満足されなければなりません。ただ精神指導者の良い望みにより、志願者はその道に素晴らしい進歩を遂げることが出来るからです。」(『他の惑星への容易な旅』32~33ページ)

質問4:現在のイスコンにいるディクシャ-グルやシクシャ-グルは、ウッタマ-バクタではないと言っているのですか。

私の見解4:私はそのような大それた判断をしているわけではありません。 私自身が自己を悟った魂ではありませんし、単にアナルタ-二ヴィルティの初期段階にいるので、誰が自己を悟っていて誰が自己を悟っていないかを正確に判断することが出来る立場ではありません。 ただ単に、幸せは、自己を悟った魂から聞くことから自然に生まれるものだと指摘しているだけです。 (以前引用したS.B.4.30.34の解説を参考にして下さい。)

私はシュリーラ-プラブパーダは、私達が師の解説を通して師と交際し続けることを望んでいるとも言いました。

普通初心者の献身者は他の人が献身奉仕のどれくらいのレベルに位置しているか見極めることが出来ないので、私達皆がシュリーラ-プラブパーダから聞くように奨励されるのが良い政策だとも言いまし 確かに今私 達が幸せでないなら、これは人生の中で行うべき賢明な調整です。

聞くことについての教えに関するシュリーラ-プラブパーダの講義の一つがここにあります。:

http://vaniquotes.org/wiki/So_many_slokas,_I_am_taking_so_much_labor._If_you_do_not_read_it_carefully…_It_is_not_for_that_I_am_making_business,_for_selling_only,_and_not_for_my_students

オーム-タッ-サット