Srila Prabhupada

一行ごとに、又は必要ならば一言一言、文の意味を細かく探求する。

全章、あるいは全解説、全段落を一気に理解しようとするよりも、一度に一行ずつ理解することに集中する方が良いです。 勿論全部の章、解説、段落を先ず最初に読んでも良いです。 一行ごとに理解するには、鍵になる言葉や言葉使いに集中しながら、その行の内容の意味を解き開いて下さい。 この訓練は、シュリーラ-プラブパーダが意図していた意味を、深く理解し消化するのを助けてくれます。

「一つ一つの言葉を理解するように努めて下さい。」 (B.G.6.13-15講義、1969年2月16日、ロサンゼルスにて)

「其々の言葉に深い意味があります。」 (S.B.1.5.13 講義、1969年6月13日、ニュー-ヴリンダーヴァンにて)

「プラブパーダ:どうか先ず最初に一つの言葉を理解して下さい。一つの言葉を理解することが出来れば、あなたの人生は成功です。」 (朝の散歩、1974年3月30日、ボンベイにて)

「ですから『シュリーマド-バーガヴァタム』の其々の言葉は一言一言が超越的だということが分かります。一つ一つの言葉には深い意味と超越的な知識で溢れています。何故ならこの超越的な本を書いた著者はヴィヤーサだからです。彼は完璧です。ヴィヤーサはヴェーダの知識に完璧です。 (S.B.1.7.6.講義、1975年4月18日、ヴリンダーヴァンにて)

「其々の言葉は深い意味で満ちています。」 (S.B.1.8.44.講義、1973年5月6日、ロサンゼルスにて)

「『シュリーマド-バーガヴァタム』には様々な記述やその他の色々なものがあります。それはクリシュナと関係していることなので、『バーガヴァタム』の一言一言には価値があります。」( (S.B.1.8.44.講義、1973年5月6日、ロサンゼルスにて)

「私が言いたいことは、『バーガヴァタム』は1万8千節から成っている非常に高尚で超越的な知識で、あなたが其々の節、其々の言葉を分析すれば、素晴らしい超越的な情報を得ることが出来るということです。」 (S.B. 講義2.1.1-5、1969年12月22日)

「『シュリーマド-バーガヴァタム』の一つ一つの言葉は重要です。」 (S.B.2.1.5.講義、1972年8月13日、ロサンゼルスにて)

「クリシュナについて学べばあなたは解放されます。ですからこれらの節は其々の言葉を注意深く理解して、注意深く学ばれなければなりません。そうすれば、あなたはクリシュナを理解するようになります。」 (S.B.7.9.32講義、1976年3月10日、マヤプールにて)

質問 / 私の見解

質問1:一つ一つの言葉を詳しく調るとしたら、どうやってシュリーラ-プラブパーダの本を全部読み終えることが出来るのでしょうか。 この方法はあまりにも時間がかかりすぎます。

私の見解 私の見解:もしもできれば、この細かく探求するという学び方をしないでただ読むという時間を設けることが出来ます。 しかしながら、よく理解して吸収するには、毎日細かく探求する時間も作る必要があります。 毎日その両方を行うことが出来ないなら(単に読むことと、細かく探求すること)、先ず一回本を読んで、その後毎日詳しく探求してはどうでしょう。 シュリーラ-プラブパーダは、師の本の教えを理解して吸収しきるには何回もの人生が必要だと確証しています。

「そして其々の言葉が全てとても重要で、真剣な生徒が其々の節を前節学ぶなら、其々の節を理解することは少なくとも一か月かかります。そして1万8千節あります。ですから『シュリーマド-バーガヴァタム』の真剣な生徒は1万8千月かかります。」 (S.B.2.1.1-5講義、1974年6月26日、メルボルンにて)

1万8千月とは何年でしょう。 私の計算では1500年です。 ですからもしも100年生きるとして、その間老退に苦しむこともないとすれば、『シュリーマド-バーガヴァタム』を15歳の時から真剣に学ぶとしたら、大体85年くらい『シュリーマド-バーガヴァタム』を学ぶ年月があります。 では真剣な生徒が『シュリーマド-バーガヴァタム』だけでも完全に理解するにはそのような何回の人生が必要でしょうか。 私の計算によると17.64706;、つまり、真剣に85年間、毎生涯『シュリーマド-バーガヴァタム』を真剣に学ぶとほとんど18回の人生が必要になります。

質問2:それは今世では解放を達成することが出来ないという意味ですか。

私の見解 私の見解:これらの超越的な文献と交際することに対する味わいを育てることによって、私達は解放されているのと同じようなものです。私達の意識は、マーヤーではなく、クリシュナに没頭するようになるからです。 献身者はただクリシュナの名前、姿、質、活動に意識を没頭させたいと思っています。 この没頭(クリシュナ意識)はバクティの最も遂行なゴールです。 私の証拠は:

「ナンダ-マハラージャを含む牛飼いの男性全員は、クリシュナとバララーマの素晴らしい活動についてよく話していました。そして彼らはこれらの会話にとても没頭していて、この物質的存在の3重の惨めさを忘れるほどでした。クリシュナ意識の人は、ナンダ-マハラージャが5千年前に楽しんでいたことを、クリシュナとクリシュナの交際者の超越的な活動について話すことで今でも楽しむことが出来ます。」( (『クリシュナ-ブック』11章)

「ありのままに物事を理解するのに熟達していて最も知性のある人は、唱え、聞くことの価値のある主の吉兆な活動やリーラについての話を聞くことに従事しています。その様な人は解放という最高の物質的恩恵さえ気にもしません。天国での物質的な幸せのようなより重要性の低い恩恵については言うまでもありません。」 (S.B.3.15.48)

「『シュリーマド-バーガヴァタム』第4巻第20章第24節に記述されているマハラージャ-プリトゥ(アーディ-ラージ)の言葉から、献身者のバガヴァーンに対する真剣な愛着を理解することが出来ます。マハラージ-プリトゥはその節でクリシュナに「主よ、私が解放を達成した後で、あなたの栄光も聞けず、そして純粋な献身者があなたの蓮華の御足を讃えて唱える賞賛の言葉も耳に出来ないなら、私は決して解放を求めません。もし主の栄光を聞く超越的な至福の蜜が味わえないのなら、その様な、いわゆる精神的平和は、私は欲しくありません。いつもあなたの超越的な栄光について讃えたり聞くことが出来るように、何億もの舌や耳を与えて下さるようにあなたに絶え間なく祈ります」と祈りを捧げています。 (『献身奉仕―喜びの海』4章)

オーム-タッ-サット