シュリーラ-プラブパーダとジャパ

ハレー-クリシュナを定期的に唱え、4つの規則原則に従う。

この記事には、私が理解した3つの真実をシェアします。

  1. ハレー-クリシュナを唱えることと、シュリーラ-プラブパーダの本を語り合うことは、両方ともキルタンです。
  2. 私達は罪深ければハレー-クリシュナを純粋に唱えることが出来ません。けれど『バガヴァド-ギーター』を理解しようと努めることで、私達は敬虔になり、チャンティングも浄化されます。 『バガヴァド-ギーター』を理解しようとするだけで私達は敬虔になり、私達のチャンティングは浄化されます。
  3. 同様に、『バガヴァド-ギーター』と『シュリーマド-バーガヴァタム』を理解する能力は、ハレー-クリシュナを唱えることで強化されます。

1.ハレー-クリシュナを唱えることと、シュリーラ-プラブパーダの本を語り合うことは、両方ともキルタンです。

「聞いて唱える、とは、ラーマやクリシュナという主の聖なる御名を唱えたり聞いたりすること(すなわち、ハレー クリシュナ、ハレー クリシュナ、クリシュナ クリシュナ、ハレー ハレー/ハレー ラーマ、ハレー ラーマ、ラーマ ラーマ、ハレー ハレーという16の御名を規則正しく唱えること)だけではなく、献身者との交流を通して『バガヴァッド・ギーター』と『シュリーマド・バーガヴァタム』を聞くことも欠かせません。バクティ・ヨーガ修練の初期段階では、心に植えられた種が芽を出し、そして上記のように、定期的に水をそそぐことでバクティ・ヨーガの蔓は生長を始めます。規則正しく栄養を与えればその蔓はどんどん生長し、これまでの節で学んできたように、宇宙の殻を突き破り、きらめき輝く空間、ブラフマジョーティに入り、さらに昇りつづけてヴァイクンタローカという無数の精神的惑星が浮かぶ精神界に到達します。その惑星群の上にクリシュナローカ、すなわちゴーローカ・ヴリンダーヴァナがあり、成長しつづけた蔓はそのなかで、根源の人格主神、主シュリー・クリシュナの蓮華の御足というやすらぎの場所を見つけます。ゴーローカ・ヴリンダーヴァナで主クリシュナの蓮華の御足に到達すれば、聞いたり読んだりする水やりの方法、また純粋な献身奉仕の境地で聖なる御名を唱える方法は、そこで実を結び、神への愛情という形で成長しきった果実は、物質界にいても、その献身者は自分ではっきりと味わうことができます。「神への愛」という熟した果実は、これまで説明してきた水やりの方法をたえず実践してきた献身者だけが味わうものです。」 (S.B.2.2.30解説)

「『バガヴァドギーター』を読むことで、あなたもアルジュナと同じ恩恵を受けることが出来ます。アルジュナはクリシュナが目の前にいたがら啓発されたと、人々は言います。しかしクリシュナは、主の言葉、音の表現(象徴、代表)としてあなたの前にもいます。ちょうど、ハレー クリシュナ マントラ、クリシュナの御名、それはクリシュナと何の異いもありません。」 (S.B.1.15.27講義、1973年12月5日、ロサンゼルスにて)

「『バガヴァドギーター』とバガヴァーン クリシュナは同一です。 違いはありません。 異なることはありません。 アドヴァヤ-ジャナ。 アドヴァヤ-ジャナとは何の違いもないということです。 ヴァダンティ タット タットヴァ-ヴィダス タットヴァㇺ ヤジュ ジャナㇺ アドゥヴァヤㇺ(S.B.1.2.11)、 [SB 1.2.11]アドヴァヤㇺ。もしもあなたが献身者、正統な献身者ならば、『バガヴァドギーター』を読む時、クリシュナがそこにいることを知るにちがいありません。もしもあなたが純粋な献身者なら、あなたがハレー クリシュナを唱える時、クリシュナはそこにいます。あなたの舌の上で踊っています。そんなことはないと思ってはいけません。クリシュナはそこにいます。ナマ-チンタマニ-クリシュナ。ナーマ。ハレークリシュナを侮辱しないで唱えている人は誰でも。」 (S.B.7.9.18講義、1976年2月25日、マヤプール)

『ヴャイヴァ ダルマ』の中で、シュリーラ-バクティヴィノーダ タークラは、同様な点を指摘しています。

「シュリー クリシュナの御名、美しさ、質、活動を讃えることに舌を使うことは、キルタン、チャンティングの最も簡単な定義です。キルタンには色々な形があります。クリシュナ意識の話題について語り合うこと;クリシュナの御名を唱えること;経典について他の人に読み聞かせること;献身的な歌を歌うこと;人々の心をクリシュナに惹きつけるように話すこと;謙虚にクリシュナに話しかけること;ヴィジャナピ、自分の心の内をクリシュナに打ち明けること;主を讃えるバジャンを唱えること;主に祈りを捧げること;。これらは、バクティの9つの枝の中でも最も重要であると言われています。これは特にカリ-ユガにおいては真実です。キルタンは最高の恩恵を人類にもたらすと、何度も繰り返し経典に書かれています。」 (『ジャィヴァ ダルマ』19章、ブリハット ムリダンガ出版)

2.私達は罪深ければハレー-クリシュナを純粋に唱えることが出来ません。 けれど『バガヴァド-ギーター』を理解しようと努めることで、私達は敬虔になり、チャンティングも浄化されます。

「他の箇所ではクリシュナもこう言っています。4章で、ジャンマ カルマ チャ メ ディヴャン(B.G.49)ダイヴィ サㇺパットなくしては誰もクリシュナを理解することは出来ません。両方。もしもあなたがクリシュナを理解しようとすれば、自動的にダイヴィ サㇺパットは育ちます。;あるいはダイヴィ サㇺパットを育てることで、クリシュナを理解出来ます。しかしそれが難しいところです。電流を触って、関電する方が良いです。...。これらのことがとても良く書かれています。『バガヴァド-ギーター』に説明されています。私達が宣伝していることはただ一つ、これらの罪深い生活の4原則を避けるよう努めて下さい。;不正な性生活、肉食、賭博、陶酔物。そしてハレー-クリシュナを唱え、『バガヴァドギーター』を読んで下さい。――そうすればあなたの人生は成功です。」 (B.G.16.5講義、1972年2月23日、カルカッタにて)

「そして人はただ主を知ろうとするだけで解放されると、クリシュナは言っています。しようとするだけでも良いのです。完璧にでなくてもです。たとえ不完全であってもです。何故ならば彼はクリシュナを理解しようと努力しているので、その活動自体が彼を解放させるのです。その活動自体がです。」 (B.G.1.23講義、1973年7月19日、ロンドンにて)

「主チェイタンヤの精神指導者は主にこう教えました。 ‘ですからハレー-クリシュナ マハー-マントラを唱えることに徐々に執着していくために、『シュリマド-バーガヴァタム』を定期的に読み、綿密に吟味しなければなりません。’ 」 (C.C. 全編7.73解説) 73解説)

シュリーラ-バクティヴィノーダも、最高級のサドゥ-サンガなくしては、私達のクリシュナの御名のチャンティングは、良くてもナマバサの段階にしか来られないと、繰り返し警告しています。

「ヴィジャャ:もしも誰かがナマバサをしているとしたら、彼のナマバサがスダ-ナマになるためには、何をしなければならないのですか」

ババジ:適した行動は、スダ-バクタ達と交際することです。 もしも彼らとの交際に留まり、彼らの命令と案内に沿って御名を唱えるならば、スダ-バクティへの味わいを得ることが出来るようになるでしょう。 その時舌に現れる名前はスッダ-ナマになるでしょう。 同時に、ナマ-アパラダを犯す人々との交際を厳格に避けるべきです。何故ならば、その様な人との交際に留まっていては、スダ-ナマは顕れないからです。 サット-サンガは、ジーヴァの良い幸運の唯一の原因です。 これが私達の命の主であるシュリー ゴウランガデヴァがサナータナ-ゴースワーミーに、サット-サンガこそがバクティの根本であると教えた理由です...。

ババジ:ナマバサはあらゆる種類の楽しみ、解放、8種類の完成(シッディ)を与えてくれます。しかしそれは、人生の最高のゴールであるクリシュナ-プレマは与えてくれません。 ババジ:ナマバサはあらゆる種類の楽しみ、解放、8種類の完成(シッディ)を与えてくれます。しかしそれは、人生の最高のゴールであるクリシュナ-プレマは与えてくれません。 そうすれば数日のうちにでさえ、スッダ-バクティとクリシュナ-バクティを得ることが出来ます。

ヴィジャヤ:プラブ、ヴァイシュナヴァ-アバサの人が、外見はヴァイシュナヴァの兆候を見せ、常にナマバサをしています。 それでも、長い間このようにしていても、彼らはプレマを受け取ることはありません。 この理由は何ですか。

ババジ:たった一つの秘訣がここにあります。ヴァイシュナヴァ-アバサ-サダカは純粋な献身を受け取る資格を持っていますが、彼は純粋な、一点に集中したバクティを持っていません。彼はサドゥだと思っているが実はマヤヴァデイであり、スッダ-バクタではない人と交際しているのかもしれません。この望ましくない交際のために、サダカがマヤヴァデイのアパシッダンティカの指示に従い、その結果彼が持っているバクティ-アバサは消え去ってしまい、徐々にヴァイシュナヴァ-アパラディの分野に堕落していきます。この状態では、彼が修行に成功するのは極めて難しい――事実現実的には不可能です。しかし、以前のスクリティが強ければ、それは彼を悪い交際から取り除いて、聖なる人々の交際に置いてくれます。そしてそのサット-サンガから、純粋なヴァイシュアヴァ派を再び得ることが出来ます...。パンディタ ジャガダナンダはとても美しい教えを『プレマ-ヴィヴァルタ』(7章)に挙げています。しっかり聞いて下さい。

アサドゥ-サンガ バィ、クリシュナ-ナマ ナヒ / ナマクサラ バヒラヤ バテ、タブ ナマ カブ ナヤ

覚えていて下さい、バィ(私の親愛なる兄弟よ)。クリシュナ-ナマは非献身者の交際の中には目覚めることは出来ません。 シュリー-ナマの音節のみが口から出ては来ますが、ナマ御自身は、遠く離れた所に留まります。

Kabhu namabhasa haya, sada nama-aparadha / e saba janibe bhai, Krishna-bhaktir badha

確かに彼らの交際の中にはナマ-アパラーダしかありませんが、 時々、幸運にもナマバサがあることもあります。しかし、ナマバサもナマ-アパラーダも、クリシュナ-バクティの障害であることを知っておくべきです。

ヤディ カリベ クリシュナ-ナマ、サドゥ-サンガ カラ ブクティ-ムクティ-シッディ-ヴァンチャ ドゥレ パリダラ

もしもあなたが純粋なクリシュナ-ナマを唱えたいのなら、サドゥ-サンガを採りなさい。そして同時に、享楽、解放、神秘的完成に対する全ての欲望を捨てなさい。」(『ジャィヴァ ダルマ』25章、ゴウディヤ ヴェーダンタ出版)

3.同様に、『バガヴァド-ギーター』と『シュリーマド-バーガヴァタム』を理解する能力は、ハレー-クリシュナを唱えることで強化されます。

「しかしハリ-ナマを唱える時、あなたは徐々にハリとは何か、主の姿は何か、主の質は何か、主の活動は何かを理解するようになります。その時あなたは理解します。何故ならば、ハリ-ナマなしでは、あなたのハートは汚いからです。――チェト-ダルパナ-マルジャナㇺ(C.C. 後編20.12)――ハートがきれいでなければ、あなたはハリとは何か、主の名前とは何か、主の姿とは何か、主の質とは何か、主の活動とは何かを理解出来ません。」 (S.B.6.2.11講義、1975年9月13日、ヴリンダーヴァンにて)

「では、私達はこれらの経典、特に、現代社会において最も重要な経典として受け入れられている『バガヴァドギーター』を役立てるべきです。そうすればあなたは全てを上手く見つけられるでしょう。あなたの議論をたて、あなたの知識、あなたの知性で理解しようと試して下さい。全ては明確になります。ですからこの『バガヴァドギーター』を役立てるべきです。そしてもしもこの音の響き、ハレー クリシュナ ハレー クリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー ハレー ラーマ ハレー ラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレーで始めれば、私達が吸収する力も増長します。 (『バガヴァド-ギーター』9.2.講義、1966年11月22日、ニューヨークにて)

結論:

「ヴァイシュナヴァ哲学の結論を正しく理解することに怠慢な人は、決してアナルタ、不必要な習慣、献身奉仕を阻害する哲学的に間違った概念から自由になることは出来ません。 クリシュナが物質的な領域に属していると誤って思っている人は、決して主に対する本当の奉仕を捧げることは出来ません。アナルタが残っている限り、聖なる御名は決して主の超越的な質の理解を生むことはありません。 アナルタが残っている限り、聖なる御名のチャンティングは決して人をクリシュナの奉仕に従事させることはありません。

シュリーラ-ルーパ-ゴースワーミーの従者は決して至高主の質を物質的な知性で分析することはありません。シュリーラ-ルーパ-ゴースワーミーの従者は決して主の交際者や所持品の特徴を俗的なものとは考えません。シュリーラ-ルーパ-ゴースワーミーの従者は決して主の超越的活動を、物質的活動と同じものだとみなしません。」 (『プラクリタ-ラサ-サタ-ドゥサニ』シュリーラ-バクティシダンタ-サラスワティ-タークラ著、ヒンドゥが俗的なメローに対して警告する)

オーム-タッ-サット